新着情報
ときどきの信州飯田
天然氷時代の氷屋
弊社は明治33年、西暦に直すと分かりやすいのですが1900年に長野県飯田市の西の山麓(旧伊賀良村)に天然氷の氷屋として創業し、中心市街地(現在の通り町営業所)に販売拠点をもって始まりました。
氷屋は夏の需要ピークのブレが年毎に大きく悩ましいものがあります。冬造って氷室に蓄えて夏に売るという天然氷から電気と冷凍機で作る氷(当時はそれを人造氷と呼んだそうです不思議な響きの言葉です)に切り替えたのは昭和33年のことでした。
天然氷時代は冬に蓄えた量しか次の夏に売る氷がないわけです。猛暑の夏にはどうやって対応したのだろうと想像します。当時の二つの氷室(氷倉)の在庫がなくなりそうな猛暑の夏は氷を持っている氷屋さんから分けてもらうしかなく長野県では最も標高の高い立地の富士見町の同業に分けていただいた夏もあると先代から聞きました。(輸送手段は貨車)猛暑の夏はさぞ儲かったのかというと仕入氷はどうしても高くつき売上げに比例する利益は出ない、時には逆ざやもあったそうな。
一年の天候や吉凶を占う諏訪湖の御神渡り(おみわたり)は湖の全面結氷から湖面の氷 が膨張でせり上がる自然現象です。550年前の室町時代から一年も欠かすことなく記録をとり続けられてきた学術的にも価値ある記録だそうです。1990年以降は31年間で出現は僅か9回。温暖化の影響と思われます。
今年の冬、暮れから低温傾向が緩むことなく続いており御神渡りの出現が期待されます。ここ2年続いた超暖冬の後の夏は不順でした。今回の冬らしい冬のあとはどんな夏となりますでしょうか?
長野県下伊那郡松川町 池ノ平湖の結氷(飯田市中心市街地から25分)背景は中央アルプス南部
海抜802m 撮影日 2022.1.9(氷屋さんの氷とは無関係です)
べっぴんさんのハナノキ
一本の樹にいったい何枚の葉があるのだろうか。べっぴんさんの葉を撮ろうと落ち葉を探してみるとこれが一枚一枚皆違う。一枚一枚が人の顔のように見えてくる。色・形・大きさを選んで、洗濯ばさみで固定して逆光に翳してモデルになってもらった。
飯田市中心市街地から車で10分の山本二ツ山の堂坂稲荷のハナノキは単独木。この秋の暖かさで紅葉は一週間程遅い。ハナノキの落葉は音に喩えると”はらはら”ではなく一晩で“ドサッ”と言う感じ。その赤い色は土目の影響なのか土地土地で全く趣の異なる紅色となる。中でもこの樹の紅色は格別。私は好きです。
実は当社の食品部門の屋号「東山道」のテーマカラーはこのハナノキの赤なのです。食欲をそそる赤。そして、このハナノキの自生地と東山道の要衝恵那山の神坂峠(長野県境)が一致することから“東山道の赤”となりました。
〈上〉撮影 2021年11月3日 長野県飯田市山本二ツ山 堂坂稲荷のハナノキ
べっぴんさん落ち葉を拾い集めてみた
〈下〉撮影 2021年11月3日 堂坂稲荷のハナノキ 暖かい秋で遅い紅葉は八分程度
県境根羽村の初秋
長野県と愛知県境に茶臼山(1,415m愛知県最高峰)があります。コスモスが終わり紅葉直前の10月上旬ってちょっと花が少ない時期です。地元紙によると茶臼山下のカエル館近くにウメバチソウが咲いているとのことで県境の根羽村を目指しました。飯田市街から65分。
まずはカエル館(茶臼山高原両生類研究所)に立ち寄りました。同じ長野県なのに飯田から来る人は珍しいそうで殆どは愛知県民。カエル館名物”ワンと鳴くネバタゴガエル”に会いました。5月の求愛時期に頻繁に鳴くとのことで諦めていたらなんとその美声を聞くことが叶いました。スピッツやポメ系の美声ですね。驚きです。ウメバチソウならあそこだよと熊谷館長が教えて下さいました。
辺り一面真っ白を連想して行ってみると畳一畳にひとつくらいの直径約2cmの可憐な佇まいでした。
折角の根羽村なので“月瀬の大杉”も訪ねました。長野県一の巨木は樹高40m。当社の立体自動倉庫が20m。並の広角レンズには収まりません。大きな木に抱かれることに古来から尊厳や畏敬を感ずる日本人。私もそんな一人なのでしょうか。
古い火山の痕跡があったり、不思議なカエルに出会えたり、亜高山帯の可憐なウメバチソウに出会えたり、巨木に圧倒されたり、県境根羽村はなかなか面白いところでした。
〈上〉撮影 2021年10月2日 ウメバチソウ(ユキノシタ科)
長野県根羽村 カエル館近く茶臼湖にて
〈下〉撮影 2021年10月2日 月瀬の大杉 樹高40m
長野県一の巨木 長野県根羽村月瀬
信州飯田の水瓶
飯田市民の水瓶は両アルプスの恩恵からいくつもの水源があります。最も規模が大きく多くの飲み水や豊かな農業を支えているのがここ飯田松川の松川ダムです。昭和49年に松川ダムが完成したことで昭和三十六年のこの地方の大水害を再び繰り返さない水のコントロールも可能となりました。
今年の信州の梅雨明けは早めの7月16日でした。が、まさかその後にもう一度梅雨のような長雨がやってくるとはだれも思いませんでした。全国の被害に遭われた地域の早い復旧をお祈り申し上げます。
弊社のような夏商品の売れる三要素。①天候 ②時間(学校や会社が夏休み)③お金(ちゃんとボーナスがでる)肝心なのはそれらが揃って来てくれることです。普通の夏なら梅雨明けから一ヶ月はお盆もからんでその条件をすべて満たしてくれるのですが。陽気だけ後からやって来たとかではお客様の心に火がつかないものなのです。あくまでもセットで来てほしい。そんなやからにコロナ渦と長雨。
コロナの波の向う側が早く見えてきてほしい。唯々それを祈るばかりです。
〈上〉撮影 2021年8月29日 飯田市上飯田 松川ダム放水路
〈下〉撮影 2021年8月29日 飯田市上飯田 松川ダム
野底川の天然記念物
昭和36年(1961年)6月信州南部に甚大な被害をもたらした「昭和36年梅雨前線豪雨」を地元では「三六災害」と呼んで、あの橋はあの家はサブロクの後から出来たとか、サブロクの前からあるとか、会話に今もって使われるくらいサブロクとはこの地域では特別な響きをもった言葉です。その三六災害で最も暴れた河川のひとつが飯田市内を流れる野底川です。今日では野底山森林公園と称し真夏でも涼しい鬱蒼とした豊かな森が上流部です。
実は当社の明治から始まった天然氷の時代には冬に氷を作る氷池と保存する氷倉がこの地域の二カ所に存在し、そのひとつがこの野底川沿いにあったと先代から聞いています。それはその三六災害で流され川底と化してしまったそうで今日では何も残っていません。しかしその時代の痕跡を見つけました。「新氷倉橋」という橋の名となって残っていました。橋の欄干にこの名を見つけて、何か手を合わせたくなるような有り難い気持ちになりました。
その橋の袂の木をよく見ると拳二つくらいの泡の塊のようなものが。なんと天然記念物モリアオガエルの卵です。
野底川で新氷倉橋とモリアオガエルの卵との出会い、ブラタモリのエンドミュージックが流れてきそうな気分です。
〈上〉撮影 2021年7月12日 野底山森林公園 八王子神社の紫陽花(長野県飯田市 市街地から10分)
〈中〉撮影 2021年7月12日 野底山森林公園近く 氷倉のあった痕跡 新氷倉橋
〈下〉撮影 2021年7月12日 新氷倉橋ちかく モリアオガエルの卵塊
緑さす
信州飯田の風越山(1,535m)の山ふところ、市街地から車で10分もかからないところに環境省百名水にも選ばれた猿庫(さるくら)の泉がある。花崗岩地帯の砂地。ひのきがすっとまっすぐに育つ。いい木が育つ。いい水が生まれる。四百年も前からこの一帯を守る活動が今も続いている。飯田の殿様もこの水を大切にしたそうな。今も残る宗徧流の江戸時代の茶道家、不蔵庵龍渓宗匠は三河から天竜川を遡りこの水に辿り着いたと言われる。
緑さす。初夏の目覚めるような若葉が美しい。沢筋に差し込む光は昼過ぎにはもう陰り出す。それがスポットライトとなって新緑を浮き立たせる。
この時期は野点が毎週日曜日に開かれているようです。やわらかでまろやかな猿庫の水を是非どうぞ。
(上)撮影 2021年6月3日 飯田市大休 猿庫の泉にて
(下)撮影 2021年6月3日 飯田市大休 猿庫の泉にて 茶室「猿庫庵」
信州最南端の桜前線
今日では飯田市に併合されたひと山向こうの南信濃村や上村地方のことを私達信州飯田の人たちは昔から遠山谷と呼んできました。同じ郡内にありながら三遠南信自動車道の矢筈トンネルが開通するまでは容易にいける場所ではなかった。そんな秘境にもかかわらずそこには優良な木が育つという昔からの富を背景に霜月祭りのような独自の文化が育ち、下流域の今日で言う天龍村平岡(満島)までを治めた遠山氏一族に由来して遠山谷と呼ばれるようになったそうな。
この辺は長野県の最南端に位置し信州の桜便りはいつもここ平岡から始まります。今年の平岡発電所の桜の開花3/17は最速記録だそうです。
一方、飯田市街地の大宮桜並木は3/26でフライング気味に満開です。4/2には東京オリンピックの聖火リレーの通り道となるのは今年らしい話題と言えるでしょう。
コロナ解決の目処とオリンピックに象徴される経済の立て直しが両立してゆきますように祈るばかりです。
(上)撮影 2021年3月28日 飯田市街地にて 満開の大宮桜並木
(下)撮影 2021年3月20日 下伊那郡天龍村平岡にて 中部電力平岡発電所 咲き始めの桜
(開花宣言は3/17)
山岳都市飯田
降ったばかりの雪は遠くから見てもわかりますね。昨夜から今朝にかけて南アルプスと前衛の伊那山地に降った雪のことです。真っ白い山肌は前へ浮き出る感じで10万都市信州飯田の背景の3,000メートルの山々がとても立体的に見える瞬間です。
山岳都市飯田と呼んでもいい風景に見えます。2027年開通予定のリニア中央新幹線によって品川とこの地が30〜40分で結ばれるようです。この地の駅名は「仮称長野県駅」と表記されているだけで未だ名は決まっていないそうです。きっといろいろな意見や思い入れがあるとは思いますが「山都飯田」という駅名はいかがでしょう。沿線唯一の信州に降りることが出来る駅を山都飯田駅と。
〜次に止まりますのは山都飯田で〜す soon arrive at SANTO IIDA〜
(上)撮影 2021年1月25日 11:35 飯田市街地越しの南アルプス 日本トレッキング付近より
(飯田市北方)
(下)撮影 2021年1月25日 11:00 弊社研究開発棟の窓から望む南アルプス(飯田市松尾代田)
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
信州伊那谷のご来光です。盆地の中央にある久米ヶ城址公園から。海抜ゼロメートル換算の日の出時刻は6時55分ですが、実際の日の出は7時18分になります。
南アルプスの空が次第に白みはじめ果たしてどこから日が昇るのだろうとわくわくします。南アルプス南端部光岳(てかりだけ)と池口岳との鞍部あたりからでしょうか。信州伊那谷に今日の光が差し込む荘厳な地球の鼓動に私達も生きているのだと感じ入るものがあります。
コロナの全世界的収束を祈ると共に、新しき年の皆様のご多幸をご祈念申し上げます。
撮影 2020/12/23 7:18 気温マイナス3℃
飯田市 久米ヶ城址より望む 南アルプス 光岳(てかりだけ)と池口岳との鞍部あたりからのご来光
里の秋より先にアルプスの初冠雪
10/18厚い雲が去ると南アルプス北岳や仙丈岳がこってりと真っ白。初冠雪です。里の秋はこれからだというのに。
全国一の松茸の産地、信州ですが、その出来ばえは秋の天候次第で大きくブレます。今年はこのところの雨で少しお湿りがあり、この後低温で晴れが続くと一番いい環境になるのですが、今年はその晴れがやって来ない気配です。つまり今年の松茸は不作という可能性が高いです。
そんな天候の間隙をぬって陣馬形山(1445m中川村)へ行ってみました。乗用車で頂上まで行ける山としては信州の南エリア随一の眺望だと私は思います。それは標高もさることながら、南アルプスから天竜川左岸目一杯張り出したようなこの山の位置がその眺望を可能にしています。ここからムササビのように飛び降りたら天竜川の向こう側の中央アルプスに降り立てるのではと思わせるような眺望です。魔女の宅急便のキキの気分になれるとも言えます。
残念ながら当日は定規で引いたような3000m付近の垂れ込める雲で眺望は限られたものでした。
久々に行ってみて感動したのは林道が全舗装となり路肩には側溝が入り頂上には清潔なトイレと山小屋(無人)がきちんと整備されていたことです。地元中川村に感謝感謝です。飯田市街から60分。中央道松川インターチェンジからなら45分。軽トラでもOKです。
信州飯田へ品川から45分というリニア新幹線時代に、この山へロープーウェイができると信州伊那谷の素朴な魅力が上がると思いますが皆様如何でしょうか?
(上)撮影 2020.10.18 飯田高原(飯田市)から初冠雪の白根三山(南アルプス)を望む
(下)撮影 2020.10.24 陣馬形山(中川村)山頂から伊那谷越しに中央アルプスを望む